最高裁判所第三小法廷 昭和28年(あ)2533号 判決 1953年11月17日
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人岩村辰次郎、同岩村隆弘の上告趣意(後記)について。
同第一点について。
所論は、原判決は最高裁判所及び高等裁判所の判例に違反するというのである。よって所論の主張するところに従って記録を調査してみると、第一審第一回公判調書によれば、百瀬豊善の検察官に対する第五回供述調書が取り調べられた旨の記載があり、判決はこれを証拠として採用しているが、記録に綴じてあるのは、昭和二七年一〇月二一日長野地方検察庁上田支部検察事務官小林竜男の認証ある謄本であることは所論のとおりである。しかし証拠調を終った後証拠書類は裁判所の許可を得たときは、原本に代えその謄本を提出することができることは刑訴法三一〇条但し書の定めるところであって、しかもかかる許可の有無は、公判調書の必要的記載事項とは認められないから、公判調書にかかる記載がないからといって、右供述調書謄本の提出に裁判所の許可がなかったと即断することはできない。(刑訴法四八条二項、規則四四条一項三〇号ト参照)。のみならず謄本の提出について被告人側から異議の申立等があった事跡も記録上認められない経過から見れば、原判決が、論旨の謄本提出の許可がなかったものとする主張を採用しなかったのは不当であるとはいえない。また論旨は記録に綴じてある副検事島田久の長野地方裁判所岩村田支部宛の書面を援用して、前記供述調書ははじめから謄本によって証拠調を請求し、そのように行われたものであると主張するが、その記載を手続の経過と合せて読んでみると、却て証拠調は原本で行われたのであるが、提出は謄本をもってする趣旨を明らかにしたものであると認めるのが相当である。従って本件供述調書の証拠調は原本によって行われ、謄本が提出されたものと認めた原判決の判断になんら違法のかどはない。以上説明のとおりであるから、所論引用の名古屋高等裁判所金沢支部昭和二五年二月二四日言渡の判決も、また最高裁判所昭和二五年五月二五日第一小法廷言渡判決も、判断の基礎となっている事実が本件と全く異なるのであるから、これを引用して原判決を非難するのは当らない。また前記百瀬豊善の供述調書の記載方法に関する非難について考えてみるに、刑訴規則三九条は裁判所又は裁判官が被告人又は被疑者に対し被告事件又は被疑事件を告げこれに関する陳述を聴く場合に作成すべき調書の方式を定めたものであって、司法警察員又は検察官の作成する供述調書等の方式に関する規定ではない(刑訴一九八条参照)。所論は刑訴規則三九条の解釈につき独自の見解に立って、前記供述調書が問答体に作成されていないから違法であり従って証拠能力がないと主張するのであって、採用することはできない。従って前記供述調書が違法の証拠であり証拠能力がないという独自の主張を前提とし、最高裁判所昭和二三年二月九日言渡第一小法廷判決に違反すると主張しても、すでにその前提を欠く以上、右判例は本件に適切でない。さらに所論は、前記供述調書に供述者たる被疑者百瀬豊善の署名押印がないという理由を前提とし、名古屋高等裁判所昭和二五年一二月一一日言渡判決に違反すると主張するが、前記供述調書謄本の記載によっても右被疑者の署名押印があったことが十分に認められるから、これまた判例違反の主張は前提を欠き採用の限りでない。
同第二点について。
所論憲法三八条三項及び刑訴三一九条二項違反の主張は、前記供述調書の証拠能力を否定し補強証拠とならないという独自の主張を前提とするのであるから、第一点について説明したとおり前記供述調書が証拠能力に欠けるところがない以上、所論は前提を失い違憲の主張として成り立たない。
同第三点について。
所論は、事実誤認量刑不当の主張であって、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。また記録を調べて見ても量刑について不当のかどは認められない。
その他記録を調べても刑訴四一一条を適用すべき事由は認められない。
よって同四〇八条により裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 井上 登 裁判官 島 保 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎)